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至善館という大学院に通ってみた個人的な感想

ひっそりとではあるけれど、実は昨年2018年8月から大学院大学至善館という社会人大学院に通っている。2018年に開校した新しい大学院で、僕はその1期生として学ばせてもらっている。

至善館
至善館(しぜんかん)」というなんとも怪しい名前の大学院だが、英語で表現するとGraduate School of Leadership and Innovationとなるそうで、修士号としてはMBAが取得できる社会人向けの2年間のコースになっている。

そろそろ通い始めてから半年が経過しようとしているので、一度、ここまでの学びやここでの経験を整理してみたいと思う。ちょうど二期生の募集も始まるタイミングのため、「評判どう?」「実際いいの?」という問合せもチラホラ頂くこともあり、これからこの大学院で学びたいと思っている人の参考にもなればと、せっかくなので以下のような項目でそれなりにちゃんと書いてみたい。

①僕はなぜ入学したのか?
②実際どんな感じの大学院か?
③どんなことを経験し、なにを学んでいるのか?
④ぶっちゃけ満足しているのか?
⑤この大学院に興味を持った人へ

+++

①僕はなぜ入学したのか?

僕がこの大学院への入学を決めた理由は3つほどある。

1つ目は、新たなインプットの機会を得たかったということ。僕は20代の後半に起業をしてからアウトプット過多の生活をずっと続けており、一度ゆっくりと腰を押し付けて、今後の人生のための学び直しをしたかったというのが大きい。30代の半ばで本業を続けながら学び直しをできるというのが、とても魅力的だった。

2つ目としては、せっかく学ぶのであれば、尊敬できる人のもとで学びたかったということがある。理事長である野田智義さんは僕の座右の書の1つである「リーダーシップの旅」の著者であり、自分にとってはロールモデルと呼べる人の1人だった。この人が人生を掛けて設立する大学院で学べるというのは、自分にとって最高の機会だと直感的に思った。

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↑理事長の野田智義さんと、提携するIESE Business SchoolのFranz Heukamp学長

3つ目としては、この大学院が掲げるコンセプトに惚れ込んだというところがある(この理由で入学を決意した同級生は非常に多い)。この大学院は、既存のMBA教育に対してアンチテーゼを唱え、さまざまな矛盾に向き合うことを軸としている。西洋的なMBAの良いところは押さえつつ、それを東洋思想や哲学を中心としたリベラルアーツと融合するという挑戦。また、「テクノロジーの進展VS人間性の担保」、「Business VS Society」などといった様々なAntinomu(二律背反)に向き合う答えのない旅路。まさに、自分が7年間起業家として活動するなかで更に思考を深めたいと考えていたテーマで、このコンセプトに強く惹きつけられた。

②実際どんな感じの大学院か?

授業が行われるのは、基本的には1週間に2日間。平日の夜の時間帯の3時間と、週末どちらかの半日~終日というのが基本的な構成だ。

この授業への出席に加え、事前/事後レポートの執筆や課題図書、更にはグループワークなども多いので、当然ながらなかなかの負荷ではある。ただ、現役の起業家であり二人の子どもの子育て真っ最中の自分にもなんとかかんとか両立可能なコースではある。(無論、それは職場の仲間や家族の多大なる協力・理解のもとに成り立っているのであり、僕としては感謝の気持ちしかございません!)。

クラスは英語と日本語のどちらかを決めて入学することとなっており、僕は英語コースに在籍している。1期生は日本語コース・英語コースともに40人程度で、どちらのコースも外国人比率は3割程度という感じだ(日本語コースでも日本語が話せる外国人が多数学んでいて、多様性は一定程度担保されている)。

バックグランドとしては、大企業務めのビジネスパーソンが多い。ただ、官僚やフリーランス、僕のような起業家も各クラスに何人かずつはいるという感じ。個人的には、ここはもう少し幅広くなっていけばいいなぁと感じている。ちなみに年齢層は20代後半から30代後半で、34歳が平均年齢とのこと。MBAとしては年齢層は高めで、いわゆるExecutive MBAに近いカテゴリなのだと思う。

授業にはグループワークも多く、多くのクラスメイトと関係性の質を高める機会がある。ちなみに、いま僕が所属しているグループはブラジル人、スリランカ人、エチオピア人、日本人3人(帰国子女1人・純ジャパ2人)という構成。こういうメンバーで色々な議論をしていくのはなかなかタフだけど、気付きや学びも非常に多い。

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③どんなことを経験し、なにを学んでいるのか?

個人的にすごく良いなと思っているのは、パッチワーク式に色々な科目から選ぶのではなく、全員が同じ事業を履修しながら同時に学んでいくという形式だ(ただし、2年次以降は選択式の授業も増えるらしい)。そのため、すべての授業が関連性を持っていて、さまざまな角度で物事を捉える必要に迫られる。

たとえば、僕はこれまで2クールの授業を受けたのだけど、最初のクールでは「Accounting」と「Finance」とともに「What is Company for?(企業論)」という3つの授業が同時に進んでいき、会計や財務を学びながらも「企業は株主のものなのか?企業はなんのために存在しているのか?」ということをグルグルと考えさせられたりする。

2クール目はもっと激しく、「Science&Technology」で未来の社会を洞察しながら「System Thinking」でシステム思考のいろはを学びながら、「Capitalism」という授業で哲学をベースにしながら資本主義とは一体なんなのかを考え抜くということをさせられた。

つまりは、最先端の方法論やMBA的なベーシックな知識/情報に触れながら、それと同時に、哲学や東洋思想などといったリベラルアーツ系の深い問いを突きつけられるような構成になっているのだ。大学時代にろくに勉強をしてこなかった僕としては、今更ながら脳みそに汗をかくとはこういうことかと実感している感じだ。

また、こうした科目を受講していくことに加え、2年間を通して自分の価値観や軸、将来の展望について考え抜くSelf-Reflection系のプログラムが用意されている。正直自分はこういうプログラムは起業してからさんざん受けてきていたので舐めていたところがあるのだけど、このプログラムのファシリテーターがCTIジャパン創始者の榎本英剛さん(なんたる豪華さ!)で、改めて自分の知らなかった自分が発見できていることを実感している。

④ぶっちゃけ満足しているのか?

ここまで読んでもらってもお気づきかと思うけれど、結論としては、僕はこの大学院に入学して本当によかったと思っている。実は入学直後に自団体の経営で大きめのイシューが起こり、退学することを本気で考えたのだけれど、あの時に踏ん張っておいてよかったと心から思っている。(とはいえ、今後まだ何があるか分かりませんが…)

では、一体なにに満足しているのか。改めて突き詰めてみると、以下の2つの点かと思う。

本質的な問いについて突き詰めて考え抜く経験ができていること

いわゆるMBA的なスキルや知識を身につけることには僕はそこまで興味はなく(もちろんそれも有益だし重要なのだけど)、それよりも、ビジネスや社会の仕組みの源流にある思想や仕組みを突き詰めることができているのが大きい。

「行き過ぎた資本主義のあり方を変えたい」とか「企業が社会課題を解決するのが重要だ」といった考えを僕はずっと持っていた。でも、そもそも誰がどんな想いで資本主義というシステムを作ったのか、また、これからの社会システムとしては何が理想なのかといったことを正面から考えたことはなかった。

また、「企業とは誰のものか?」という問いに、「株主のものに決まってる」と会社法上の定義だけで答えていた自分が、いまは思想を持って「会社とは何なのか」に対して自分なりの軸を持った持論を日英で展開することができるようになれている。

少しずつではあるけれど、こうしてさまざまな事象に対して軸となる思想を持つことができてきていることで、NPOの経営者としても大きなブレイクスルーがありそうな予感がしている。個人的には、ビジネスパーソンだけでなくソーシャルセクターで働く人間こそこうしたリベラルアーツを学んで自分なりの思想・哲学を持っておくべきだと思い始めており、その点で自分はいかに足りないものばかりだったかということを深く反省する日々だ。

最前線で活躍する講師陣とぶつかり稽古をしながら学べていること

僕が昔通っていた国立大学の大学院との比較にはなるが、講師のなかにいままさに現場の第一線で活動している実践家が多いのは、非常に刺激的だ。

たとえば「System Thinking」の授業を担当しているのは、枝廣淳子さん小田理一郎さんというソーシャルセクターの世界では知らない人はいない実践者たちだ。また、世界的にも注目が高まる「Design Thinking」の授業を担当するのは、日本におけるこの分野の第一人者といっても良い株式会社BIOTOPEの佐宗邦威さんだ。彼はいま38歳だが、こうした最前線で活躍する若い実践者から約30時間(3時間半×8回)におよぶ薫陶を受けられというのは、贅沢この上ないことだと思う。なお、今後は平田オリザさんが監修する演劇のグループワークが控えていたりと、これからも様々な第一人者との対話が楽しみでならない。

そして、やっぱり何よりも贅沢だと思うのは、超一流の教育者であり起業家である野田智義さんという傑物に直接稽古をつけてもらえるということだ。僕が野田さんをロールモデルの1人としていたことは先に書いた通りだが、実際に入学してみて、この人は僕なんかが想像できないほどに教育者としても思想家としても怪物だということを、嫌という程に思い知らされた。この21世紀の吉田松陰とも呼べる人物とこれだけ濃密に時間を過ごせていることが、僕としては何よりの財産だと感じている。


・・・と、なんだか美辞麗句ばかり並べてしまったが、これはあくまでも僕の感覚であり、普通の人が懸念する点は沢山あるんじゃないかとも思う。たとえば、まだまだ日本でも世界でも無名の大学院であり、いわゆるネームバリューのようなものは全くない。なので、そうしたネームバリューが欲しい人には向かないかと思う。「まだまだ無名で知る人ぞ知るような学校だけど、むしろ自分が活躍することで名を上げてやる」くらいじゃないと、ダメかもしれない。

また、新設の大学院らしいバタバタ感も相当程度ある(笑)。授業の内容も当初とは結構変わるし、成績をどうつけるかも二転三転したりする。色々なプログラムが走りながら定まっていく感じだ。僕なんかはこういうアジャイルな感じが、一緒になって学びの場を創っているような感じでむしろ楽しいのだけど、ドッシリとした堅牢な感じを好む人にはかなりストレスになるかと思う。。。

⑤この大学院に興味を持った人へ

最後になったけれど、ここまで読んで至善館に関心を持ったという人は、ぜひ今度開かれる予定の説明会に足を運んでもらえたらと思う。詳細は以下から。

☆ 説明会の案内(English/日本語) ☆
※ ちなみに3/18(月)の説明会には僕も登壇することを予定しています

なお、こちらの入学案内を見てもらうと分かるのだが、学費はかなり高い。ただ、ソーシャルセクターの学生やその他一定の条件を満たす学生には結構な奨学金も出るらしいので(僕も実はその恩恵に預かってます)、ぜひ個別に事務局の方々に相談してみることをお勧めしたい。

僕としてはちょっと変わった人、特にソーシャルセクターの人に仲間に加わってほしいと思っているので、ぜひとも説明会に来てもらうとともに、2期生としてジョインして欲しいなと。2期生で入ってきた人とは1年間はキャンパスで時間を過ごすことになるので(僕が留年したら同級生になる可能性も...)、ぜひ我こそはという少し変わった方々、ご応募くださいませ!!

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715
※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。
※ 2016年9月2日(金)に初の著書が発売になりました。
『働く意義の見つけ方―仕事を「志事」にする流儀』(ダイヤモンド社)

G1サミット@沖縄での学び

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この3連休は沖縄で行われたG1サミットに参加。各界のリーダーの方々300人以上と、様々なトピックで議論して脳みそに大汗をかいた。参加したアクアスロン(写真)では信じられないほど身体を追い込むことになったものの、チームの順位は見事に2位!充実した時間でした。

改めて、この素晴らしい機会に心から感謝するとともに、備忘録までに、僕なりの学びと気づきを5点に絞ってメモ。

【1. 第4次産業革命と中央集権国家】
第4次産業革命の時代、テクノロジー活用の局面が変わっている。特にビッグデータは中央集権的な国家と相性が良く、中国はますます台頭している。一方、マイナンバーの活用ひとつ取っても、日本は国を挙げて何かやろうとはなりにくい。自由主義経済が、独裁主義をベースにした資本主義に押されているという時代背景

【2. ソフトからハードへのシフト】
自動運転にしろIoTのセンサーにしろ、いまはハードに価値が置かれる時代になっている。インターネットの世界に閉じたイノベーションには限界が来ているのでは?これまでは大企業がベンチャーに助けを求めてオープンイノベーションを起こしていこうという流れがあったが、むしろ逆の流れが加速していく可能性あり。技術やテクノロジーを持つベンチャーが、ハードのリソースを持つ大企業にアプローチして相互補完しながらイノベーションを起こしていく時代になるかも

【3. 政治の争点と憲法改正】
とにかく社会保障改革に切り込むのが大切。一方、外交と国防も、中国の台頭と北朝鮮の脅威の高まりを背景に、ますます重要性が高まっている。この国は憲法改正の議論にこれまで正面から向き合ってこなかったが、一人一人が思考を停止せずに自分の頭で考えて自身の意見を持つ必要がある。そのことがこの国と世界の平和を考える上でも大切。(このエリアでの自分の不勉強さや、考え切っていなかった怠慢を個人的には痛感)

【4. 異論の重要性とNPOの役割】
異論が挟まれないで物事が決まっていくことは本当に危険。でないと本質的な答えはあぶり出されない。Diversity&Inclusionが叫ばれるが、多様性の意義は議論の精度を高めることにある。そして、これからの社会の方向性を決めるような議論が数々あるいま、NPOセクターの役割とは、マイノリティや弱い立場の人々の声を代弁し、多数派の議論に対して異論を唱えて議論を深めることにある。ここの分野で、自分としてはもっと価値を発揮していきたい

【5. 言葉へのこだわり】
最後に、これは毎回感じることだけど、政治家をはじめとした社会を動かすリーダーたちは、本当に喋りが上手い。今回は小泉進次郎さんも来ていたが、彼が「言葉に体温と体重を乗せるようにしている」とか、「一期一会ではなく、一期一語一会といってもいいくらい、一語に対する情熱と執着を考えている。特に出だしの掴みの見極め(フワッといくかトップギアでいくか)に全てをかけ、人を惹きつけようと努力している」とか、「自分の話し方と立ち振る舞いを改善するために、自分の演説をビデオに取って恥ずかしい自分に向き合っている」とか語っているところに、政治家としてのプロフェッショナリズムを感じた

というわけで、この刺激を生かして明日からも頑張ります!!

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715
※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。
※ 2016年9月2日(金)に初の著書が発売になりました。
『働く意義の見つけ方―仕事を「志事」にする流儀』(ダイヤモンド社)
☆ Amazonランキング キャリアデザイン部門ベストセラー1位を獲得
☆ ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶベスト経営書2016 年間17位

役割を演じることで、わかりあう ~1日保育士をやってみて~

先週、仕事を1日休んで娘の保育園で「1日保育士」なるものを体験した。

これは、保育園に通う子どもたちのパパやママが1日だけ保育士になって子どもたちと時間を過ごすというもの。子どもたちと公園に行ったり、紙芝居を読んだり、寝かしつけをしたり、一緒に食事をしながら「見習い保育士」として1日を過ごす。

子どもたちのパワーに圧倒されて疲労はかなりのものだったけれど、最高に楽しくて幸せな時間だった。でも、何より意義深かったのは、保育園の子どもたちが普段どんな風に過ごしているのか、また、保育園という場所がどのように運営されているのかを体感できたことだった。

たとえば、保育士さんたちの仕事の幅広さには本当に驚かされた。今回僕が体験したのは業務のほんの一部だけれど、それでも、数十人の子どもたちを連れて外を散歩するときの神経の使い方や、子どもが体調を崩したときに求められる迅速な危機対応などなど、僕が想像もしていなかったような数々の大変さが、そこにはあった。

この保育園に娘を通わせて3年以上になるわけだけど、保育園について知らないことだらけだったと思い知らされた。


わかりあえないことから

ちょっと話は変わるけれど、年末年始に読んで面白かった本に、平田オリザさんの『わかりあえないことから (講談社現代新書)』がある。(Sow Experienceの西村琢さんから「大地が好きそうな本を見つけたから、ぜひ読むように」と勧められたのだけど、名著でした。感謝!)

少し時間が経っているので正確ではないかもしれないが、『共感とは、互いにわかりあえないことを前提に、それでもわかりあえる部分をけんめいに探っていく営みである』というようなことが書いてあった。

そして、平田さんは演劇を学校教育に組み込むことで、互いの立場を分かりあうコミュニケーションの大切さを子どもたちに伝えているのだという。普段とは違う役割を演じ合うことで相手の立場をわかりあおうとする共感力がつくというのが、平田さんの考え方だ。

たとえば今回僕が「保育士」という役割を少し演じたことでも、あきらかに保育士さんたちとわかりあおうとする姿勢は増したと思う。無論たった1日だけで保育士さんの仕事を理解したなどというつもりはないけれど、それでも、僕はこれから先、保育士さんに対して軽率な不平・不満をこぼすことは二度とないような気がする。

だからというわけではないけれど、「役割を演じることで共感力を高める」という平田さんの考え方に僕はすごく共感する。

平田オリザさん
↑平田オリザさん

そして、もっと言えば、「共感力」を高めて他の誰かとわかりあおうとすることの重要性が今ほど高まっている時代はないんじゃないかと僕は思う。

残念なことに、いまの社会は、あらゆる意味で「分断の時代」を迎えてしまっている。

資本主義経済の恩恵にあずかる者と、それによって搾取される者。
権力のある中央にいる者と、辺境に身を置いている者。
ポピュリズムに熱狂する者と、それを批判する者。
あるいは、サービスを提供する者と、それをただ受容する者。

ありとあらゆるところに「わかりあえない主体者たち」がいて、それが積み重なって、社会の分断が限界を迎えているように感じる。そんな時代において、大袈裟かもしれないけれど、互いの役割を演じ合ってわかりあおうとすることにこそ、この社会の分断を食い止める力があるように僕には思える。

僕たちクロスフィールズが7年間取り組んでいる留職というプログラムも、ある意味では「役割を演じる」活動だ。日本の大企業で働く人たちに、発展途上国での社会課題の解決に取り組むNPOの職員という役割を演じてもらっている。これによって、自分とは全く違う立場の人たちがどのような想いでどんな仕事をしているのか、そのことに国籍やセクターを超えて想像力を働かせてもらえるようになってほしいというのが、このプログラムにかける想いだ。

当たり前だけど、誰かの役割を演じるために、必ずしも留職のような大きな仕掛けが必要なわけではない。

幼稚園や学校のPTAで役職を担うことや、NPOやNGOの活動にボランティアとして参加してみることでもいい。あるいは、僕がやったような「1日保育士」というのもけっこオススメだ。どんなに小さなことでもいいから、誰かの役割を演じて違う世界を見ることで、きっと物事の捉え方は少しずつ変わっていくはずだ。

もちろん、演じることですべてわかるなんてことはないし、平田さんも書いているように、人と人なんてどうせわかりあえない。でも、それでも諦めずに少しでも誰かのことをわかりあおうとする努力を続けていけば、社会の分断という状況も少しずつ変わっていくと僕は信じたい。

・・・と、徒然なるままに書いたものの、要するに、「あー1日保育士やってよかったー」ということです。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。
※ 2016年9月2日(金)に初の著書が発売になりました。
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戦火のシリアに暮らす「第2の家族」との7年ぶりの再会

3泊4日のレバノンでの滞在を終え、いまは日本へと向かう飛行機のなかにいる。前回の記事でも書かせてもらったけれど、今回の訪問の目的は、シリアに住む「第2の家族」とも呼べる友人Nと7年ぶりに会って話をすることだった。

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↑レバノンを訪れるのは今回が3回目だけど、いつ来ても本当に美しい街だ


そして、色々な方からのサポートがあり、今回、無事に友人との念願の再会を果たすことができた。なんと運良く初日から合流することができ、幸せなことに、丸3日間、一緒に時間を過ごしてくることができた。

本当に、友人Nはよく来てくれたと思う。彼はいくつかの検問をくぐり抜け、国境を超えてレバノンまで訪ねてくれた。正直なところ、彼が来る確率は1-2割くらいだと思っていたので、こうして再会が実現したことは本当に嬉しかった。「いま向かっているよ」というメールが届いたときには、僕の心臓は思い切り高鳴り、久々に、自然と涙が出てきた。

再会の直前、この数年間待ち望んでいた瞬間の実現に、僕の気持ちは高ぶりきっていた。でも、いざ会ってみると、それは意外なほどにあっけないものだった。抱き合って二人で号泣するのかなと妄想していたけれど、最初に会ったときも、さっきまた別れを告げたときにも、特に涙もなかった。7年ぶりに時間を過ごしているとは思えない、ごく自然な再会になった。

この3日間、僕らはただただ一緒に過ごした。朝飯から晩飯まで一緒にメシを食べ、僕の泊まっていたホテルのダブルベッドに一緒に寝た(本当に来ると思ってなかったことがここで友人Nにもバレた)。首都ベイルートの街をブラブラと散策したり、近郊の街まで小旅行をしたりしながら、バカ話も含めて、沢山の話をした。

12年前に僕が青年海外協力隊としてシリアで過ごしていた時と同じような空気が、そこには流れていた。違ったのは、お互いに少し歳をとったことと、僕のアラビア語が相当に劣化していたことくらいだ。感覚としては、久々に実家に里帰りをして両親と時間を過ごしたような、そんな気分だ。なんだか拍子抜けするくらいに、穏やかな時間だった。


こうして丸3日間を彼と過ごしてみて思うのは、やはり今回思い切ってレバノンに来て良かったということだ。

いまから3年ほど前から、僕は友人Nに対して国際送金で仕送りを続けてきた。このサポートは必要なことではあったものの、一体そのことが彼とその家族にどんな影響を与えていて、僕たちの友人関係にどんな影響を及ぼしているのか、正直、とても不安だった。

でも、今回彼と色々な話をしてみて、これまで僕がやってきたことは間違っていなかったと思うことができた。当たり前ではあるのだけど、僕と彼とは「支援者」と「支援される者」である前に、明確に「大切な友人」だった。今回一緒にいても、彼との間に上下関係とか、「支援してあげている」という気持ちとかを感じることは、ただの一度もなかった。そこにあったのは、9000キロというもの凄い距離を隔てながらも築くことができた、人生でも最も大事だと思える唯一無二の友人関係だった。

もちろん、仕送りの話題にもなった。そのときに彼が言ってくれたのは、「本当にいつもありがとう。でも、こんなこともあったわけだから、きっとお互いが死んでからも子どもたちが僕たちの関係のことをずっと語り継ぐことになるだろうね」という言葉だった。

いま友人Nと彼の家族の生活をサポートしているということは、僕の人生のなかでも最も尊い行動をする機会をもらえているということなんだと感じた。純粋にそのことに対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになったし、幸せを感じた。そして、今回仕送りをするようになったことで、僕たちの友人としての絆はさらに強固になったことを、胸の奥の方でグッと感じすることができた。

今回直接会って話をしてみて、僕の心の奥に引っかかっていたものがスーッと消えていくかのようだった。

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↑レバノンの首都ベイルートのモスクにて友人Nと。


そして、もう一つ。やはりどうしても書いておきたいことがある。

戦争についてだ。

6年半もの期間を戦火のなかで暮らしてきた友人が僕に繰り返し伝えてくれたのは、「戦争の愚かさ」と「平和への渇望」だった。

6歳になる友人Nの長男は、とても利発で元気な男の子だが、なにか大きな音がすると恐怖に怯えてしまう。血相を変えて走り回って、しばらくすると毛布にくるまってしばらく出てこれなくなってしまう。戦闘機が飛んでくる音や爆撃の音を嫌というほど聞いて、大きな音に対して過度な反応をするようになってしまったのだ。

友人Nの親戚の青年は、紛争が起きてすぐに13歳でレバノンに出稼ぎでやって来た。狭い部屋に他のシリア人の若者たちと暮らしながら、週6回の勤務で朝4時から朝9時まで八百屋で働き続けている。そして、生活費も切り詰めながら何とか捻出したお金をシリアに住む家族へと仕送りをしている。帰国すると徴兵されてしまう危険性があり、この間、一度もシリアには帰っていない。シリア人にとって、生まれ故郷や家族と離れて生活をするというのは、最も過酷なことだ。そんな日々が6年半も続いている。

そして、将来に対する不安も大きい。仮に紛争が落ち着いたとしても、シリア国中に広く行き渡っている武器や弾薬をどのように根絶していくかには、全く道筋が立っていない。当然のことだが、武器があれば何かしらの暴力が続いてしまう可能性は高い。このことが、友人Nにとっては将来に向けた最大の心配事なのだそうだ。

「いま、シリアに住むすべての人たちは、紛争の終結を心から願っているんだ」

はじめは「政府寄り」「反体制派寄り」等といったスタンスの違いで、シリア人たちも一枚岩にはなれていなかった。でも、いまは違う。6年半という途方もない期間を戦火のもとで過ごした人々は、もはや戦争というものに対して辟易としているのだ。

「もはや誰がこの国を収めることになってもいい。誰もが、暴力と戦争とに疲れている。このバカげたことを終わらせることだけが、僕たち全員の願いなんだ。2017年を、この戦争の最後の年にしなきゃいけない」

そう語っていたときの、友人Nの珍しいほどの力強い口調を僕は忘れることができない。

+++

前回と今回の、長々とした冗長でナイーブな文章を最後まで読んでくださった方には、感謝しかない。そしてコメントや個別のメッセージをくれた方にも、心から御礼を伝えたい。周りの人たちに少しでも関心を持ってもらえて嬉しかったし、応援してもらえたことは本当に心強かった。また、個別に厳しいことを指摘してくれた友人もいて、そういう声には色々な気づきを頂いた。改めて、こうして行動したり発信することは大事だと感じさせてもらった。

最後に、もしも今回のことでシリアをめぐる情勢に興味を持ってくれた人がいたとしたら、以下も参考にしてもらえたらと思う。(情報を提供してくださった方、本当にありがとうございます!)

1.BS1 国際報道2017 シリア最新情勢~未来の“復興”に向けた支援を~
9/26(火)の夜22時からの上の番組で、シリア最新情勢の特集があります。国連開発計画(UNDP)のシリア事務所の副所長を務めている須崎彰子さんがスタジオ出演するとのこと。現地での最新の生の情報が分かるはずです。

2.青山弘之著 『シリア情勢:終わらない人道危機』(岩波書店、2017年)
中東専門家である東京外国語大学の青山先生の本は、シリア情勢を包括的に理解する上ですごく参考になります。僕も先生の本は何冊か読んでいますが、どれもとても分かりやすいし、先生のシリアへの愛が伝わってきます。

3.シリアのためにできることリスト
ちょっと古いのですが、3年前に僕がまとめた「日本からシリアのためにできること」のリストになります。何かの参考になったら幸いです。

4.映画 『この世界の片隅に』
完全なる主観ですが、おそらくいまシリアで起きていることと、シリアの人たちの生活というのは、この映画で描かれている戦時中の日本人の姿とすごく近いのではと思います。ちょうどDVD化もされたタイミングなので、この映画をご覧になりながら、シリア情勢や戦争について考えてみてはいかがでしょうか。


明日からは、クロスフィールズの業務に戻ります!
不在中ご迷惑をかけた方々、申し訳ありませんでした。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。
※ 2016年9月2日(金)に初の著書が発売になりました。
   『働く意義の見つけ方―仕事を「志事」にする流儀』(ダイヤモンド社)
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僕がシリアに住む友人に会いに行く情けない理由

僕はいまこの文章を、レバノンに向かう飛行機のなかで書いている。よくよく考えても、なぜ急遽休みを取ってレバノン目指して飛行機に乗っているのか、自分でも上手いこと説明できる気がしない。というわけで、気持ちを整理するためにも、いま自分が何を考えているかをここに書いておきたい。(情緒的だし、無駄に長文です)

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2011年は日本を未曾有の大震災が襲った年であり、僕が会社を辞めてクロスフィールズを起ち上げた年でもある。そして、シリアにおける紛争が始まった年だった。

あれから6年という時間が流れた。東北地方は落ち着きを取り戻し、もちろん地域によるものの、復興は確実に進んでいるように見える。僕自身もNPO経営者として7年目を迎え、起業家として生きている自分をもはや当たり前だと感じるようになった。プライベートでも二人の子どもが生まれ、家族はいつの間にか2人から4人に増えた。

6年間とは、それだけの変化が起きる長い時間だ。だが、残念ながらシリアではいまも厳しい情勢が続いているし、紛争が集結して平和が訪れる予兆は見られない。シリアに暮らす人たちは、実にその6年間もの長い時間を、絶望的な戦火のなかで暮らし続けている。


僕は2005年からの約2年間を、青年海外協力隊としてシリアで過ごした。最初の1年間は南部のクネイトラという地方の人口2,000人くらいの小さな村で暮らしていた。いつもお世話になっていた家庭は、まさに「第2の家族」と思えるほどの大切な存在になった。特にその家に住む友人Nとはすごく波長が合い、いまも兄弟と呼び合うような間柄だ。

友人Nも僕も結婚したということで、紛争直前だった2010年の暮れには、互いに奥さんを紹介しあおうと、僕は奥さんを連れてシリアを訪ねた。村ではものすごい歓待と祝福を受け、2家族で幸せを分かち合った。友人Nとは「いつか子どもができたら、今度は子どもたちを一緒に遊ばせよう」と約束した。


そんなシリアで紛争が始まったのだから、当然ながら僕は気が気でなかった。でも、日本にいる自分にできることは思いつかず、起業したての忙しさを言い訳にもして、特に何の行動を取ることもなく、ただただ新聞やメディアで情勢を見守るだけの日々を過ごした。ときどき思い出したように友人Nとは電話で連絡を取り合っていたものの、メディアがシリアの報道をしなくなれば、日常生活でシリアについて考える機会も減っていった。

紛争が始まってから3年が経った2014年の春、友人Nから突然「生活が苦しい。助けてほしい」という連絡が入った。これまで一度もそんなことを頼まれたことはなかったので、ただ事ではないことだけは分かった。僕はできる限りのことをしようと思い、思い切って友人Nに会おうとシリアの隣国レバノンへと飛んだ。(その時のブログ記事はコチラ

でも、残念ながら公務員をしていた友人Nは国外に出ることが許されず、再会は叶わなかった。彼の代わりにレバノンに来てくれた友人Nの甥っ子にサポートのお金を託して、僕は日本へと戻った。(その時のブログ記事はコチラ

その後、レバノン宛であれば国際送金ができるということが分かり、悩んだ末に、僕はレバノンに住む友人Nの親戚を通して定期的に生活費の仕送りをすることを決めた。

半年に一度、マイナンバーカードを持って家の近くにあるチケットショップの大黒屋(日本ではWestern Unionの代理店をしている)に行く。そこでお金を支払うと、手数料を引かれた金額がレバノンへと送金される。そして、何人かの友人に助けをもらって、送金情報を友人Nへと伝える。僕がするのはそれだけだ。

そして、お金が無事に友人Nのもとに届くと、彼は僕にお礼の連絡をくれ、WhatsAppやSkypeで互いの近況を伝え合う。その電話では、彼はいつも申し訳なさそうにこんなことを言う。

「いつもごめんよ。この仕送りのおかげで何とか家族の生活を支えることができている。ありがとう。でも、僕はお金をもらえるから連絡を取っているわけじゃ決してないから。ダイチは家族だからこうして電話をしているんだ。そこだけは勘違いしないで欲しい。お金なんかよりも、心配してくれているダイチと話がしたいんだ。」

そして、その言葉に対し、僕も決まって「うん、もちろん分かってるよ」と伝える。

こんなことを、半年に1回くらいのペースで、3年間以上繰り返してきた。はじめは感情的だった会話も、何度も同じことを繰り返していると、だんだんと定型化して味気ないものになってくる(僕のアラビア語の語彙力が年々低下していることも大きな要因なのだけど…)。そして、あまりにも先が見えない状況に、電話で話していても、なんだか気まずさやぎこちなさが残るようになっていった。

僕たちは「友人」だったはずなのに、仕送りをして会話をする度に、僕たちは「支援者」と「支援される者」という関係になってしまっている感じがした。僕はそれが嫌でたまらなかったし、おそらく友人Nも、同じように感じていたんじゃないかと思う。

僕はいつの間にか、あまり感情を込めず、お金を送るという機械的な行為として送金をするようになった。気まずい電話をはぶいて、メールだけでやり取りをすることも増えた。


そして、いまから1ヶ月ほど前。意識的だったのか、無意識的だったのか、僕は約束のタイミングが来たのに送金することを忘れてまった。いや、正確には、何度か送金に行こうとは思ったのだけど、仕事が忙しくて大黒屋に行って送金するという行為すら億劫になってしまい、タイミングを逃してしまったのだ。

すると、友人からは何通ものメールが入っていた。そこには、「本当に恥ずかしいことなのだけど、どうしてもお金が必要なんだ。もし経済的に難しいのであれば、いつもの半額でもよいから送ってほしい。ダイチ、いつもありがとう」と書かれていた。

僕はあわてて送金の手続きを済ませた。でも、なんだか自分の心が空っぽになってしまっているような感覚を覚えた。自分の仕送りがないことが友人Nとその家族に大きな打撃を与えるという事実に、打ちのめされた。そして、自分が「支援者」であるという事実と責任とに向き合ってこなかった自分自身が、とてつもなく情けなくなった。このままでは何かが音を立てて壊れていくような感覚に襲われた。


前回の渡航には、友人Nをサポートするためにお金を届けるという明確な目的があった。でも、国際送金ができることが分かったいま、僕がわざわざレバノンまで行く必要はない。それに、友人Nに会えるのかどうかさえ、全く分からない。「これからレバノンに向かう」という連絡はもらっているものの、彼がまた国境を越えられないという可能性はとても高い。

ただ、たとえ会えなくても、友人Nのいる中東の地に足を踏み入れて、もう一度、「友人」として彼とつながる感覚を持ちたい。

情けないけれど、つまるところはそんな僕のエゴが、今回のレバノン行きの理由なんだと思う。

僕はいま「支援者」だけれど、そのこと以前に「友人」なのだから、彼にどうしても会いたい。その気持ちだけでも、今回のレバノン訪問という行動を通して、全力で彼に伝えられたいと思っている。

さぁ、そろそろレバノンに到着する。
この先一体どんなことが待っているのだろう。。。

NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715

※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。
※ 2016年9月2日(金)に初の著書が発売になりました。
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