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無私の野心

NPOの業界では知らない人はいないという、
業界の第一人者のTさんとお話させて頂く機会があった。

その方は、文字通り、NPOや社会貢献といった業界を
パイオニアとしてゼロから創ってきてこられた方だ。

その方から、素晴らしい言葉を頂いた。

「社会貢献の分野で大事を成すには『無私の野心』を持ちなさい」

まだまだ未熟な自分がこの言葉の意味をどこまで正確に
理解できているのか分からないけれど、自分の解釈では…

・自分のために何かをやろうとしてしまったら
 人がついてこないし、社会を変えることもできない

・一方で、自分が出来る範囲で小さなだけやるという意識でも、
 社会を変えるようなことを成し遂げることはできない

・だからこそ、これを達成したいと心から思え、かつ、社会に対しても
 一定のインパクトを与えられるだけの規模面での目標をミッションとして
 設定し、自分の利害は関係なくそのミッションに忠実に行動すべき

という風に理解させて頂いた。

ちゃんと理解できているかは分からないけれど、とにかく勉強になりました。
これからは「無私の野心」という言葉を胸に、団体を経営していきます。

Tさん、ありがとうございました!

スゲー奴に会いました

まだまだ若輩者の自分がこう言うのも照れくさいが、
コイツは本当に素晴らしいと思える若者に出会った。

彼の名前は、税所篤快。弱冠22歳。

落ちこぼれだった彼は、東進ハイスクールのビデオ授業で
早稲田大学合格を果たすという成功体験を持つ。

そんな彼は、自らの経験を生かし、4万人とも言われる教師不足に
悩むバングラデシュの村落部でビデオ映像を用いた遠隔教育を行い、
現地の教育格差の問題に取り組んでいる。

e-Education -バングラデシュでドラゴン桜-
ホームページ:http://eedu.jp/

実績としても、バングラデシュの東大とも呼ばれるダッカ大学への
合格者を農村部から2年連続で出すなど、大きな成果を出し始めている。

本当に、スゴいの一言...


彼とはこないだ朝食を一緒に食べたのだけど、話をしていて、
彼の人を惹きつける力だったり突破力には、心底、天性の才能を感じた。
目が輝いていて、相手に一緒に何かをしたいと思わせる力だあるのだ。

自分も見習うべき点が多いなぁと感じるとともに、
単純に、彼と話していて、すごく元気をもらうことができた。

ほんと、良い出会いでした。


ちなみに彼、つい最近、自伝的な本まで出してしまった。
ほんとスゲー奴です。本、オススメです!


前へ ! 前へ ! 前へ ! ― 足立区の落ちこぼれが、バングラデシュでおこした奇跡。 ―前へ ! 前へ ! 前へ ! ― 足立区の落ちこぼれが、バングラデシュでおこした奇跡。 ―
(2011/04/09)
税所篤快

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被災地を訪れて…

11月3日から6日にかけての4日間、自分が運営しているコミュニティである
コンパスポイントの仲間たちとともに、宮城県名取市を訪れた。

実は以前にも被災地を訪れたことはあったので、自分がそこまでの衝撃を
感じることはないと思っていたが、今回、自分の予想を遥かに超えて、
今回の震災がいかに深刻なものであるかをまざまざと感じ、ショックを受けた。

↓今回の滞在の様子はこちら
http://compasspoint.asia/archives/1252


思えば、僕が会社を退職して独立したのは2011年3月11日だった。
お世話になった会社の皆さんへのお礼メールを書いているとき、地震が起きた。
その翌週からは事業を立ち上げてバリバリと働く予定だったのだが、
当然のように、仕事の予定は全て先方からキャンセルされてしまった。

そんなわけで、日本の一大事に時間を持て余した僕は、
公益社団法人シビックフォースという団体で業務委託を受けて働くことになった。
物資輸送チームの責任者を任せて頂いた僕は、3月・4月という緊急支援の時期に
南三陸・気仙沼といった被災地を訪れさせて頂く機会が何度かあった。

もちろんその際にも悲惨な光景を見て色々なことを感じたのだが、
その時にはあくまで緊急支援業務の従事者という立場で被災地にいたため、
心に何かしらのバリアを貼って感情を無意識に殺していたのだと思う。


今回の滞在では、被災した方々が負った心の傷についてお話を聞く機会があり、また、
そうした悲しみを乗り越えて立ち上がっている方々の情熱と勇気に触れることができた。

1つ1つの話がとてつもなく暗く、また同時に、感動を覚えるほど希望に満ち溢れていた。


同じ国に生きている人間として一体何ができるのか、いま一度、真剣に考えたいと思う。

目の前の人を助けるということ

起業してからというもの、ちょっと変わった事業をしているということで
珍しがってもらい、色々な素晴らしい方にお会いしてお話する機会が多い。

その中でも、特に感化されたのが、ある60歳の経営者の方の生き様だ。

彼の凄みは、「自分の大義を日々の行動で体現する」ということに尽きる。
とにかく、自分が正義であることを押し通してきた人なのだ。

彼は、電車の中でふんぞり返っている人を見かければ「必ず」注意し、
歩きタバコをしている人を見かければ、その人がその行動を辞めるまで
「必ず」説得することをずっと続けているという。

この「必ず」というところがすごい。

自分が急いでいる時であれ、気持ち的に沈んでいる時であれ、
また、注意する相手が明らかにヤクザだと見受けられる時であれ、
自分が正しいと思えば、相手のことを絶対に注意するのだ。


また、彼は何の迷いもなくこうした行動をしているかと言えばそうではなく、
この注意という行為を、常に葛藤と闘いながら実践している。

彼は起業家である前に夫でもあり父親でもあり、守るべきものがある。
「この人を注意して刺されたら笑われ者だな」という葛藤と、常に闘うのだ。
でも、その度に、これまで自分が注意すべきだと感じた全ての局面において、
この人はその葛藤に打ち勝って行動を起こしてきたというのである。



このような行動を取っていることの意味を、彼はこんな風に説明する。

「僕が嫌いなのは傲慢な人だ。傲慢な人は、自分の価値を過大評価していて、
自分は意義のある活動をしているので、目の前の人を助けるような暇もないし、
そうしないで自分の本業に時間をかけることが合理的な判断だと考えている。」

この言葉、自分も本当に耳が痛い。

起業したばかりの僕には、いま自分が取り組んでいる事業が大事でならない。
それに、自分には家族がいて、家族のことを守りたいとも強く感じている。

この気持ち自体は素晴らしいことだが、それによって自分が弱くなったとも感じる。
自分の目の前で困っている人を助けない理由がどんどんと増えていて、
本来は当たり前の行動を取ることができないという場面が多くなった気がする。

これは、彼から言わせれば、僕が傲慢になったことに他ならないのだ。


自分は、社会を変えたいと大志を抱く起業家である前に、
目の前の人を助けることのできる人間でありたいと、
経営者の大先輩とお話する機会を頂くことで再認識したのでした。