世界経済フォーラム東アジア会議に参加して
- Day:2013.06.29
- Cat:経営ノート

今から2年ほど前に、世界経済フォーラム(ダボス会議)が選ぶ
世界の20代リーダーのコミュニティであるGlobal Shapersに選出して頂いた。
その活動の一環として、6月4日からの4日間、アジアを中心に
世界各国のリーダーが集まる「世界経済フォーラム東アジア会議」という
国際会議に参加してきた。今年はミャンマーの首都ネピドーでの開催
ということで、去年に続いて2回目のミャンマー滞在となった。
僕にとっては初めての国際会議への参加だったわけだけど、
政治・経済・NPOなど様々なセクターで活躍する世界中のリーダーから
沢山の刺激を受けることができ、本当に、有意義な経験だった。
この会議で学んだことは山ほどあるのだけど、ここではごく簡単に、
今回自分が痛烈に感じたことを3つに絞って書いてみたい。
1.日本の若手リーダーとアジアの若手リーダーの違い

何といっても、僕が今回の会議で1番刺激を受けたのは、
アジア各国の若手リーダーたちの凄まじいまでの力強さだった。
今回の会議、僕と同じ20代リーダーの枠(Global Shapers)では
アジア各国から25人くらいの若手が集まっていた。国籍を挙げると、
ミャンマー・ラオス・タイ・インドネシア・フィリピン・ベトナム・
シンガポール・マレーシア・香港・台湾・韓国などなど、様々だ。
ちなみに多くは25-28歳くらいで、30歳の僕は最年長という感じ
だったのだけど、まぁとにかく、彼らは本当にスゴかった。
何百人もの世界中からの聴衆がいる前で堂々と手を挙げて自分の意見を表明し、
世界的に著名な政治家とともにパネリストとして登壇して議論する
ということを、当然ながら英語環境において、彼らは平気でやってのける。
自分自身もアジア地域を中心に日々英語を使って業務をしている身だけど、
彼らのレベルと比較すると、正直、自分は圧倒的に未熟だと痛感した。
日本で仲良くしている同世代の起業家仲間のことを考えても、
一体どれだけの日本人が、今回出会ったアジアの若手リーダーたちと渡り合えるか
というと、残念ながら、かなり厳しいのではないかと思ってしまった。
少し感覚的な話かもしれないが、日本と他のアジアの国々とでは、
リーダーの育ち方に根本的な違いがあるように僕には思えた。
日本では、"英語はできないけどスゴい優秀なヤツ"っていうのが
結構多いような気がする。でも、おそらく東南アジア諸国や南アジアでは、
そんなグループに属する人はほぼ存在しないのではないだろうか。
アジアの若手リーダーの多くは、徹底的に英語で教育を受けられるような
エリートコミュニティの中からが輩出される。また、そうでない場合も、
その人材が優秀であれば、早い段階で国外でプレゼンをする機会や
国外で学ぶ機会を否応無しに与えられるので、英語での議論がまともに
できない優秀なリーダーが育つということは、非常に稀なのだと思う。
一方日本では、国内において活躍することの魅力も相対的には強く、
日本国内をフィールドに活躍しようとする若手リーダーも多いので、
優秀さとグローバル環境への適応性との関係性は非常に低くなっている。
「日本の教育のあり方を見直すべき!」と主張するのがこの記事の目的では
ないけれど、やっぱり、これからますます国境の垣根を超えた活動の重要性が
増える中で、日本の若手リーダーだけがグローバルな潮流の中から
取り残されているという状況というのは、いかがなものかと思ってしまう。
まずは自分自身が、もっともっと目線を上げて頑張らねば…
2.アジアという地域の高揚感と日本の停滞感

これもアジア各国の若手リーダーたちとの議論で感じたことだけど、
やっぱり「新興国(Emerging Countries)」という文字の通り、
自分たちはグングンと音を立てて日々成長しているという高揚感が、
彼らの発言や表情から漂っているように思えて、仕方がなかった。
期間中のあるセッションで、「あなたの国の過去30年間の変化を紹介しなさい」
というお題が出されて、国別に別れて互いにプレゼンをするという時間があった。
この時間に僕が聞いたのは、まるで「世界史の授業」のような話だった。
ミャンマーからの参加者は「数十年間に渡る軍事的な統治が終わり、2年前から
民主化が一気に進むという歴史的な大転換点にいる」と誇らしげに語った。
かと思えば、ベトナムからの参加者は「90年代にアメリカとの国交正常化をして、
そこからベトナム経済は一気に開放された」と熱っぽく説明していた。
多くのことは教科書や新聞を読んで知っていたことだったが、その国を
これから引っ張っていくリーダーになるだろう彼らの口から直接語られると、
まるで明治維新の志士たちと語り合っているような、そんな感覚になった。
一方、自分が日本という国のどんな側面を発表したかというと、簡潔に言えば、
「この30年間、日本はあらゆる意味で停滞している」という内容だった。
「総理大臣の名前だけは激動のように変わっているよ」と言って失笑を
誘うことくらいしかできない自分が、なんだか残念でならなかった。
僕は日本という国の現状や未来を非常に前向きに捉えている人間だと思うが、
そんな僕でも、この国のここ30年間の歴史は、他のアジアの国々の
激動と高揚感と比較してしまうと、あまりにも寂しいものだと言わざるをえない。
残念ながら、客観的に考えても、それがいまの日本の立ち位置なんだと思うし、
アジア各国からも「過去の国」として見られているという虚しい感覚が、
今回の会議を通じて僕がヒシヒシと感じたことだった。うーむ。。。
3.ミャンマーという国と、アウンサンスーチー女史

最後に、今回訪れたミャンマーという国から、瑞々しい希望に満ちた
エネルギーを思い切り感じられたということにも、ぜひ触れておきたい。
民主化が急速に進むこのミャンマーという国も、実はいまも軍主導の政権が
国をコントロールしており、民主化のプロセスはまだ過渡期にいると言われている。
民主化運動のアイコンであるアウンサンスーチー女史も、野党のリーダーでしかない。
ただ、そんな時代背景にあっても、今回の会議には多くの現役閣僚たちが積極的に参加し、
世界中のリーダーたちと積極的に意見交換をして様々なことを吸収しようという姿勢が
印象的だった。このオープンさには、どの国の参加者たちも好感を持っていたようだ。
非常に多くの少数民族を抱えるこの国の舵取りは決して易しくはないだろうが、
こうした前向きに国を創っていこうとするエネルギーを見ていると、この国は
もしかすると想像以上のスピードで発展を遂げていくのではないかと思えてきた。
そして、やはり印象に残ったのは、遅かれ早かれこの国を引っ張っていくことに
なるであろうアウンサンスーチー女史のスピーチだ。今回運良く2度ほど彼女の話を
聞く機会があったが、彼女からは、これまでには感じたことのない凄みを感じた。
これから新しく生まれ変わる国を率いていこうとするリーダーの持つ、
文字通り、「希望」と「信念」とに満ちた目が、あまりにも印象的だった。
「あなたは私のことを楽観主義者と言ったが、それは違う。
私は強い希望を持っていて、その希望を現実にするために行動を起こす人間だ」
討論中にこんなことをさらりと語れてしまうリーダーのいるミャンマーという国であれば、
きっとどんな壁も乗り越えて、力強く前に向かっていけると、誰もが確信したはずだ。
ミャンマーという国の未来は、とても明るいです。
以上、ちょっと長々と書いてしまったけれど、今回の僕の感想を書きなぐってみた。
それにしても、やっぱりアジアという場所は最高にアツいです!
NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715)
※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。

東洋経済オンラインでアジア新興国への「留職」で熱くするニッポンを連載中!
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