シリア難民の現状 ~ヨルダン訪問記(2014年5月)~
- Day:2014.05.04
- Cat:日々の考えごと
短いヨルダンでの滞在を経て、いまはレバノンの首都である
ベイルートにいます。この地で友人Nと会う約束をしたからです。
ただ、残念ながら昨日になって彼から「行くのは難しいかもしれない」
という連絡だけ入り、それ以来、突然連絡が取れなくなっています。
正直なところ、今回彼と会える可能性はかなり低くなってしまいました。
明日までは滞在するので、最後の可能性にかけてみるつもりですが…
そんな状況ですが、せっかくなので、僕が見た範囲で、
現地の情報を少しでも発信したいと思います。
今回ヨルダンでは、首都アンマンに2日間滞在し、この地で
シリア難民の支援を続ける、協力隊時代からの友人である
田村雅文(シリア支援団体サダーカ代表)の助けを借りて、
5軒の難民家庭の訪問や傷病者施設の見学をさせてもらいました。

↑家庭訪問の様子。左から二番目が田村雅文
シリア内戦が悪化する中、難民となって国外に避難する
人々は増え続け、その数は250万人を超すと言われています。
650万人を超す国内避難民をこれに足せば、実に全人口の
約40%が難民になっているというから、驚きを隠せません。
(数字は全てUNHCRが2014年3月に発表したものを引用)
僕の友人と同じ境遇にいる人が900万人以上もいるという
数字は、考えただけで気の遠くなりそうな事実です。
隣国であるヨルダンには、登録されているだけで60-80万人、
非登録の難民も合わせると更にその倍以上の難民が押し寄せて
いると言われます。これはヨルダンの全人口(約630万人)の
10-20%にあたるというから、どれだけ膨大な数か分かります。
では、ヨルダンのシリア難民はどんな生活をしているのでしょう。
あくまで僕の印象ですが、少し感想を書いてみたいと思います。
描けない未来の展望
とにもかくにも、彼らは未来の展望を描くことが難しいです。
食事や医療などの最低限のサポートは国際機関からの支援で
何とかまかなえているケースが多いようですが、シリア難民が
ヨルダンで仕事を見つけるのは極めて難しく、恒常的な収入が
ある家庭はほとんどありません。
また、ヨルダン政府側の受入体制も不十分なようで、学校に
通うことができている子どもの数はかなり限定的です。
そのため、仕事も学校のない難民たちは、ほとんどが1日中を
家の中で何もせずに過ごし、たまにやって来る国際機関などの
援助をあてにして日々を過ごしているという印象です。
僕が訪問した家庭の人々は、表面上に悲壮感がある感じでは
ありませんでしたが(彼らは本当に強いです!)、やはり
どこかに、未来が描けないことからくる暗さや疲れのような
ものが見え隠れしていました。
協力隊のときに感じていた僕が好きだった
シリア人特有の底抜けな明るさは、どこかに行っていました…
急速に広がる心身の病
今回訪問した家庭では、心臓疾患や癌などの病気で入退院を
繰り返している人が大勢いました。日当たりが悪く狭い家に
大家族で暮らしているので、身体に与えるダメージが大きい
というのは、容易に想像がつきます。
また、一緒に訪問したメディカルドクターの話では、今後は
精神疾患の患者が急増するということでした。幼い子どもを
含めて、多くの人たちが、家の回りの人たちが殺されるのを
目撃するという凄惨な経験をしています。それにより、国外
に来てからも不眠症になっている人も多いようでした。
多くの難民が持つ壮絶な経験
訪問した家庭で聞いた話は、全てが壮絶すぎるものでした。
その中でも衝撃的だったのは、シリアの中でも最も戦闘が
激しいとされるホムス市出身の男性(28歳)の話でした。
彼は1年半にわたって家の中に隠れ続け、電気も水もない
状態で何とか生き延びたそうです。一緒に生活していた
子どもたちは一歩も外に出ることができず、毎日毎日、
銃撃戦の音に怯えながら日々を過ごしていたそうです。
そして、何を食べて持ちこたえていたかを尋ねると、
「店も全て閉まっていて食料もなかったので、その辺に
生えている草を茹でて食べたり、近くを通った野良猫や
野良犬を食べて飢えをしのいだ」というのが答えでした。
もともとは肥満体型だったこの男性は、ヨルダンに逃げる
までの1年半で38キロも体重が落ちたとのことでした。
なお、一緒に逃げてきたお兄さん(42歳)は途中で政府軍に
捕まってしまい、いまどこにいるかは分からないそうです。
そのお兄さんの子どもたち(4-10歳くらいの4人兄妹)は、
僕たちの横でその話を寂しそうに聞いていました。ちなみに、
そのうちの1人の子どもは、あまりにも泣きすぎて片目の
視力がなくなって失明状態になってしまったそうです。
輝かしいたくましく生きる人々の姿
シリア難民の多くは、上記のような悲惨な状況の中で
何とか耐えてきて、いまも大変な状況に身をおいています。
ただ、そんな状況でも、彼らは文字通り「生きて」います。
僕が訪問した家庭でも、新しい生命が誕生し、
その赤ん坊を幸せそうに抱き抱える両親の姿がありました。
そして、その赤ん坊の世話を、一生懸命に、嬉しそうに
している元気そうな兄妹たちの姿がありました。
希望を見出すことが難しい状況の中で、その姿は、
とてもとても美しく、輝かしく映りました。

そして、今回、最も印象的だった言葉があります。
上に書いたホムス出身の男性のお父さん(63歳)の言葉です。
彼は、爆発のために天井が落ちてきたことで、3回の手術の
果てに最終的に左足の切断をするという経験をしています。

そんな彼に、「いま一番ほしいものはなんですか?」という
質問をしたところ、返ってきた言葉は、
「何もない。いまこうして生き残った家族たちと一緒に
暮らすことができていること、色々な人たちに支援をして
もらえていること。そのことに、ただ深く感謝している」
というものでした。
僕の友人もそうですが、こうした強い心を持ってたくましく生きる
人たちがいる限り、いつの日かまた素晴らしいシリアは戻ってくる。
そのことを、僕は十分に確信することができた気がします。
正直なところ、色々な情報が大量に入ってきて頭の中はまだ
グチャグチャですが、取り急ぎ、感じたことを書いてみました。
まずはベイルートで友人Nと会えることを祈りたいと思います。
※ シリア難民のためにあなたができることはコチラ!
NPO法人クロスフィールズ
小沼大地(@daichi0715)
※ 当記事はNPO法人クロスフィールズ代表小沼の個人的著述です。

東洋経済オンラインでアジア新興国への「留職」で熱くするニッポンを連載中!
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